淡路島でカーネーションが採培され始めたのは、昭和八年津名郡生穂町、佐野町(現淡路市生穂、佐野)が県の花き集団指定産地となり農会技手等の技術更員により小型温室や露地で試作されたのが始まりだそうです。翌年にはガラス温室を利用したカーネーションの生産がスタート。その後、温室の増築や露地栽培の導入により順調に伸びてきた生産も戦争により中断を余儀なくされたのでした。しかし、終戦後の需要の高まりや地域の技術者が開発した「簡易小型温室」により急速に生産は回復しました。昭和三十年に入ると本格的なガラス温室の建設や簡易暖房機の導入、土壌消毒の実施など技術革新が進み、収量、品質が高まっていきました。昭和四十年には温室団地をモデルに淡路島のおいても近代的な温室の建設がなされ、経営の大型化が進められました。昭和五十年から六十年にかけて、共選共販出荷、切花延命剤を実用化して花色の豊富さやボリュームのある草姿で注目を浴びた地中海系品種が導入されました。現在では、黄色蛍光灯を本格的に取り入れたり、養液土耕システムなどの省力技術の導入も進められています。
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