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はなまる日誌

   2009/01/05 (月)  新聞に載りました。
私ごとですが、新年早々1月1日付けの読売新聞淡路版に「ひょうご観考 夢を追う」 と題して、不況で暗い話題が先行する中、地域ならではの産業や味覚を生かして観光客を呼び込み、街を再び元気にしょうとする動きが県内で進んでいるとのこと。各地でひたむきな情熱を傾ける人々やその取り組みについて紙面を作るという事で、昨年末に取材を受けていました。

ひょうご観考 夢を追う

花の島希望の蕾
若い力で活性化 カーネーション未来託す


「あ、あれ、うちの子や」。街で見かけ、ふと胸の中でつぶやくことがある。色つや、照り……間違いない。よくできた子やから、かわいがってもらいや――。岡田章さん(40)の“子どもたち”は今、九州や富山県にまで活躍の場を広げ、様々なシーンを彩る。始まりは、昭和初期にさかのぼる。耕作面積の限られた棚田が多い淡路島北部・旧生穂(いくほ)町(現・淡路市生穂)。稲作を終えた冬場、耕地をどう有効に使うかと考えて試されたのが、カーネーション栽培だった。島の温暖な気候も幸いして試みる農家が増え、ガラス温室や土壌消毒、新品種の導入などで、佐野、津名地区を含め一大産地に発展した。
父・茂雄さん(66)の後継ぎとして、岡田さんが栽培を始めたのは10年ほど前。両親と農園「花丸園」を営み、結婚して子ども3人に恵まれた。温室では、6月に植えた苗が高さ1メートルほどに育ち、今は収穫、出荷の日々だ。花に触れながら、歴史と、培われた技術に敬意を払う。
しかし近年、不況で花屋に並ぶカーネーションが減った。仲間内でも「不景気」がいつも話題に上り始めた。歴史が長いだけに、個々の農家のこだわりが強く、産地全体がまとまりきらない面もあった。「完成された技はある。買(こ)うてもらうために、どうするかや」。岡田さんは思い続けた。
そんな中、明るい<変化>が訪れた。数年前から、島外で就職、進学していた地元出身者が相次ぎ戻ってきたのだ。栽培農家の2代目、3代目たちだった。そして2005年秋、岡田さんたちに県北淡路農業改良普及センターから提案が舞い込んだ。「若い者(もん)が寄り合うて、会を作らへんか」。地域ごとの組織はあるが、その枠を超えた付き合いはない。若い感覚で産地の将来を考えてみんか――。
仲間が増えれば元気も出る。「やるか」と20〜50歳代の面々が集い、13人で若手経営者連絡会が発足した。それぞれが技を守りながら、大阪の生花市場視察や神戸での消費者向けPRなど、結束して動き始めた。今はこれが売れ筋品種。バスの車体広告を出しとる産地もあるで……。「どれも一人じゃ集めきれん情報や」。お互いに近況を尋ね、酒を酌み交わし、年の差を超えて語り合う仲間たち。岡田さんは手応えを感じた。
メンバーは今、16人に。昨年末、会長を託された岡田さんの温室に、栽培農家の3代目・惣林坊(そうりんぼう)和裕さん(29)がやってきた。「玉ネギを越えたいなぁ。全国ブランドにしたい」。連絡会と交流を続ける普及センターの石井康史さん(37)も訪れた。点滴するように液肥を与える養液土耕システムをはじめ、機械化にも若手の力が欠かせない。「淡路の花作りには可能性がある。その意味でも、後継者はまだ足りません」
岡田さんは、初めて生花市場の競りを見た感動が忘れられない。居並ぶ700〜800人の視線が、手塩にかけたカーネーションに注がれる。「花嫁みたいな……あれこそ、晴れ舞台やなぁ」。母の日の前には確実に売れる“強み”もある。だが、それはシーズン限定という弱みにもなる。「出荷は10月から翌年6月頃まで。イメージを破らんとね」
冬場の温室内は12度。花びらの縁が赤い品種・カリンボの蕾(つぼみ)が膨らみ始めている。“子どもたち”1本ずつにある表情。送り出し、どこかでまた会うのが、岡田さんの楽しみだ。(全て読売新聞より抜粋)
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