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はなまる日誌

   2011/12/25 (日)  卒団
.jpg / 59KB少年野球チーム生穂クラブでお世話になり、ガムシャラに白球を追いかけてきた小学6年の我が家の次男、祥吾。小学3年の冬。野球部に入部早々、まだ、キャッチボールも間々ならない、バットを振ってもボールが当たるはずもない状態からの野球への船出でした。そもそも、野球部には二つ上の兄も部員であったこともあるが、何と言っても、お父ちゃんが大の野球好きなことも入部のキッカケになったに違いないはず。この野球部では、野球が上手くなることは愚か、礼儀(挨拶など)や集団生活での協調性を学んだり、家族や親以外の人々から叱られることを学んだりしたことだと思う。そんな、祥吾も学年が上がるに連れ、野球の基礎とも言えるキャッチボールも上達し、また、バットを持っての打撃練習でもコツコツとボールが当たるようになっていました。そして、上級生の6年になると試合にもスタメンで出場する機会も増え、外野のセンターのレギュラーに。ところが、何と驚くことに春ごろの練習試合からピッチャーに起用される頻度が多くなった。親も、親なので運動神経が鈍く、ピッチャーなどできる器でないと思うが、指導者の方が、才能を見抜いてくれ起用してくれたのだろう。何と言っても、春の公式戦淡路市長杯で延長戦突入後、ノーアウト満塁の大ピンチで緊急登板したのには、親の私たちもビックリしました。この大ピンチにも何の動揺もせず、淡々と得意とされたドローンとしたスローボールを投げ、三振、内野ゴロ、内野フライにと見事ピンチを切り抜け、サヨナラで勝利したことが、今でも脳波を過ります。以後、度々先発で登板させてもらったりと、親子ともども野球一色に染まってしまい、一喜一憂していました。そんな、次男も今日の親子試合を最後に野球部を卒団しました。つづきは、後日(笑)

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